いつも、私が好きな人の好きなところは、誰ともつるまないところなのかもしれない。
1人で居て、1人で自分の理想を突き詰めようとしている人。
だから、推しの舘様が誰かをフォローしてたり、誰かと友達って聞くと、なんか、違うなって思うのかもしれない。
推しが家族の影響を受けているとか、親に憧れてるとか聞くと、アレルギー反応起こすのかもしれない。
旦那が好きな理由は、誰にも憧れてなくて、好きなものも作者じゃなくて作品が好きで、それも誰かの影響じゃなくて自分で本読んで見つけてきて、誰かとそれについて談義なんてしないからなのかもしれない。
ただ1人だから、幻滅しないのかもしれない。
親とも兄弟とも仲良くなくて、本当は私とも仲良くなくて、ただ空気で居て、誰の印象にも残らないことに徹している。
でも、確かに思想はそこにあって、でも誰にも話さず、誰かが聞いたら一応答えるだけで、聞かないと何も言わない。から、決してブレない。
自己流なので、磨かれてもいないし、荒削りだし、説明する用のものでないから理論もないし、それでも、他人が入っていない感じが良い。
わたしは、誰も入れないで、誰と仲良くするためでもなく、自分の立ち位置や方針を示すためでもなく、魅せるためでなく、純粋に好きなものを好きと言えているだろうか。
わたしは特定の人物に刺さるものを作るのが得意で。
刺さったら終わりでそれが目的。
他人が介在してからすぐに、100%そこに他人を住ませて、ギリ手抜きでないような適当なものを作って、出来上がってわたしのじゃないと思う。
建築に向いてない。
他人の趣味をリサーチして刺すストーキングに私はあって、モノを作るところに私は無い。
一人きりで、自分で自分の理想をもって、それに沿って何かを作れるようになりたい。
誰かに刺すんじゃなくて。
自分に刺したい。
そうありたい。
一人でありたい。