親を大事にしろと言う人は、親を大事にするために自分を犠牲にしている人かもしれない。
「僕だって親を大事にするために自分を投げ打っているんだ。君も親を大事にしないと不公平じゃないか。」と。
それらしい理由つけて親を大事にしない人間を否定するが、その言葉はそのまま自分の首を絞めているのかもしれない。
本当に親を大事にしている人は、親を大事にしろなんて他人に強制しないんじゃないかなと。
そもそも自分の身体や心を蔑ろにしてまで大事にするべきものなんて無いはずだ。
そうまでして大事にされて嬉しい人はどこか心の寂しい人だ。
自分を大事に出来ないから、人が自己犠牲してまで尽くしてくれていることを喜ぶ。
私は自分の子供すら、自分を蔑ろにしてまで大事になんてしないだろう。
親の自己犠牲が子供の頃一番嫌なことだったから、同じ思いを子供にさせたくない。
「〜すべき」「絶対〜した方が良い」論者って、そのために自己犠牲を払って大なり小なり苦しんでることが多いような気がしてならない。
その自己犠牲で尽くしている相手や信念やその他諸々が、あなたが苦しんでいて本当に嬉しかったり、糧になったりしているのかどうか一回考えてみてほしいなと思う。