ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

虐待サバイバー界隈痛い

虐待サバイバー界隈というものがある。

虐待されても生きてる人たち、の意である。

 

なんか痛い人多い。

自分の今の不幸と過去の虐待だけを綴ってるアカウントが多く、共感はできるんだけど、それで?ってなる。

 

そこからどう立ち直るか?どう幸せになるか?など、前向きなことがほとんど書かれない。

恨みつらみの羅列。

今幸せ!って言う人(ほぼ居ない)も言い聞かせてるようで。

プロセスが無いと言うか、虐待サバイバーから幸せへ向かう葛藤と折り合いと…みたいな部分が抜けてる。

本人の主体性というか方向性がなく、なんか痛い、苦しい。

被害者という立場に居続けることが気持ち良くなってしまってるように見える。

 

虐待サバイバーだからこそ、人生キツくなってる身としては、そこを言い訳にしないと自分がダメみたいで苦しくなっちゃう気持ちスゲェ分かるんだよな。

親のせいで自己否定嘘つき性格最悪キモ人間になってますよ〜、って方が楽なんだ。

でも、実際そうでも、そこからどうするかって自分次第というか。

 

親のせいでキモ人間かもしれないけど、私はキモループから外れたいって思うし。

幸せになりたい、自分の人生を生きたい、自分には価値があると信じたい。

だから、親について、こういう思い出があるなとか、嫌だったなって気持ちとか、その結果今こういう行動に繋がってるとか、思い出して整理することはあるけど。

それも、未来に向けられたらいいなって考えているというか。

 

自分はどうしたいかってところに目を向けていきたいよね。

何かされた、とか、何が出来ない、ってのも状況の整理としては大事だけど、そこからどうするかってところが無いと、一生変わらないので。

何も出来なくて、性格最悪で、キモ人間だけど。

それでも前向きに生きたいよ。

幸せになりたいよ。

 

幸せを目指すのは、虐待サバイバーにも普通の人にも与えられた権利で。

親の支配下、マインドコントロールから逃れるっていうハードルの有無の差で。

国とか人種とか性別とかと一緒で、イスラム圏で女性が幸せを目指してもいいってのと一緒というか、やっぱり思うようには行かないんだけども。

それでも、イスラム圏の女性が社会に恨み言言って鬱々してるより、その中でどう幸せになるか考えて行動してて欲しいやんな。

だから、虐待されても幸せを諦めないでいい。

虐待サバイバーだからこそ、貧困だからこそ、被差別民族であるからこそ、女性だからこそ、幸せを諦めないで居て欲しいんだよな。

私も虐待サバイバーで貧困で発作持ちだけど。

それでも幸せになることを諦めてない。

足が無くても、目が見えなくても、今にも死にそうな飢餓でも、絶対諦めない。

それが生きるっていう覚悟というか。

最低限幸せを諦めないことが生きるために必要というか。

 

幸せになっちゃダメだって思ってた頃は、毎日首吊りロープに首を掛けて、死ねないから生きるしか無いって毎日「明日死のう」って思いながら生きてたけど。

死ねないから、全部産んだ親のせいにして、親は私を殺すのが責任、愛さないなら中絶しとけよ、今殺せよってずっと思ってたけども。

爆弾抱えて、親に起爆ボタンだけ押してもらおうって。

それが親の責任って。

 

でも、自分の幸せを殺さなくちゃいけないって立場にずっと居たからこそ、幸せになっていいって思える時が来ると一番世界が変わるというか。

 

逆に良かったなって、思える日が来るかもしれないし。

いや、今は普通に愛されたかったなぁって思うんだけども。

 

とりあえず、虐待サバイバーには、自分の幸せを考えても良いんだよとか、ありきたりなことを伝えたいね。

どこかで自分で気付くしかないが。

私はこれを読んでる人が自分の幸せを諦めず生きてくれたら嬉しいなと思うね。