ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

親に愛されなくても幸せになれる

現在過去未来、ずっと親に愛されることはない。

分かってることで苦しんでも仕方ないので、親は子供を愛すべき、なんて考えはとうに捨てた。

親が本当は子供なんて要らない、キライと感じているのに産まれてしまう子供はいるよね。

性欲って本能だから。

子を愛せない親なんて沢山いるし、愛されない子供の方が更に沢山いる。

 

でも、愛されなかった子も、みんながみんな親を一生恨んでるわけでない。

諦めて折り合いつけて、自分の人生を生きてる人だって沢山いる。

幸せになってる人が沢山いる。

幸せになってる人が居る以上、愛されないとか虐待されて育ったから、片親両親がいないから幸せになれないってのは自己責任というか自己暗示かもな。

 

愛されなくても幸せになれるんだって私は信じてる。

愛されなくても経験と歳を重ねれば、少しずつ自己受容が出来るようになる。

私も、あんなに死のうとしてたのに、死ななくて良くなって。

今は更に踏み込んで、幸せになろうって、幸せになってもいいって思えてる。

そして、自分は自分で居ていいし、特別でなくていいと思えてる。

 

最近、助産師から、「親のサポートが受けられないなら役所のサポートに頼りましょう」と言われて、受け皿ありがテェなって思った。

産後うつになった時に、母子共に泊まれて、子供見てもらいながら相談乗って貰える施設がある。

他に助産師の訪問もあって。

いつでも相談できる体制が整ってる。

親に愛されないことで、赤の他人の優しさがより沁みる。

毒親に育てられて唯一良かったこと、他人の優しさに心からありがたい、得難いと思えることだ。

当たり前じゃないんだよな。

人から優しくされること。

 

死にたかった頃は、他人の優しさに「私みたいな人間に優しくする価値ない」「優しさは有限で、そのパイを誰かから奪ってしまった」って激しい罪悪感に苛まれて、より死にたくなってた。

だから優しい人と関わるの嫌だったけれど。

今は、優しさがただ沁みる。

 

他人の幸せのために働いてる人が沢山居る。

医師や看護師も、行政も、教育機関も、街のパン屋さんだって。

本当にありがたいよね。

 

自分が幸せになっちゃダメだと思ってると、自分以外の全員不幸になって欲しいってどこか心の奥底で思っちゃう。

それが一番辛いことで。

でも、幸せになろう、なっていいって思えると、他人の幸不幸への関心が薄くなる。

他人の幸せに敏感なのは自分だけだったなって。

幸せな人は自分の幸せに集中してるし、余った幸せを他人に自然とお裾分け出来てるんだよな。

 

親なんて、産んだ人ってだけで、他人だから。

「あなたは幸せそうでいいわね」「お母さんは不幸なのに」「ズルい」みたいな、呪いに縛られることない。

毒親持ち、「幸せになるのはダメなことなんだ」って刷り込まれてしまいがちだけど、そんなことない。

赤の他人にそんなこと言われたら、普通に知るかよって思うだろうし。

毒親が不幸なのは毒親の選択で、私が幸せなのは私の選択だ。

不幸に巻き込まれなくていい。

 

愛されなくても、毒親持ちでも、必ず幸せになれるので。

なんなら、人生前半のマイナスを後半の追い上げで取り返して欲しいね。

 

こっからの人生、やりたいことやって、生きたいように生きて、愛する人を愛して愛されて、大好きな人に囲まれて、幸せに生きていこうな。

幸せになろう。なれる。

 

ファイトやで。