夢を良く見る。
夢ではいろんな登場人物になれるし、いろんな経験ができる。
今日の夢。
私はある時お爺ちゃんで、パチンコ屋の前のコインランドリーでパチンコから帰る妻を気長に待っていた。
妻が帰ってきて、笑顔で出迎える。
夫婦のスリッパはお揃いで。
どうしようもない老夫婦だけど、その姿はとても幸せそうだった。
明くる日、私はお婆ちゃんで、お爺ちゃんが瀕死の中薬を使って延命治療をしている。
お爺ちゃんは、苦しいはずなのにお婆ちゃんに向かっていつも穏やかな笑顔で。
お医者さんに何とかならないのかと憤りが湧いてくる。
辛いならいつでも言ってくれと言うけど、私のために延命治療を続けてくれると言う。
そのまま目が覚めた。
延命治療に使うお金や労力は勿体無い、悪戯に苦しませる必要はない、というのが持論だ。
けれど、愛する人の死地に立って、そして彼が私の為に文句一つ言わずに笑顔で生きてくれる状況なら、藁にも縋りたい気持ちになってしまうんだろうな。
まるで、私たちみたいだった。
この間、40度を超える高熱が頻繁に出たときも彼は隣で幸せそうだった。
流石に食べれないし起き上がるのも辛そうだったが、それでも幸せそうだった。
彼はどんなに辛い時でも何があっても、弱音を吐かず、「痛み苦しみを感じにくい」と言っていつも幸せそうだ。
周りから休め休めと言われるが、有給を取らずに文句一つ言わず、誰よりも幸せそうに休日も働くし、何でも楽しいからと言って苦労一つ見せず働くから、彼に仕事を振る方も楽しくなる。
誰に対しても態度を変えず、幸せそうであることが、どれだけ難しくて優しいことなのだろうか。
あいつはおかしいと言われて、誰にでも優しいということは誰にも冷たいのでは?と本人自身悩んでも、「おかしい人なんてこの世に居ない」と私に再三言い聞かせてくれた。
そして、人と違う道を行くことで、誰とも牌を奪い合わないように生きることで、他人の幸せに貢献したつもりで居た私は、どれだけ人の幸せを、能力を、馬鹿にしていたんだろう。
話は戻るが、夢では、お婆ちゃんより、お爺ちゃんだった時の方が幸せだった。
共に帰る人を待ってるのが幸せで、めいっぱい苦しんでも愛するのが幸せだった。
幸せそうな相手に本当に幸せであってほしいという自分勝手な願望かも知れないけど、幸せであって欲しいなぁと思う。
わたしも常に幸せそうな人でありたい。
今よりもっと、誰にもずっと。