脳は私か。
身体は私か。
顔や髪や手足は私か。
服は私か。
家は私か。
胃に入った食べ物は私か。
作ったものは私か。
過去や未来は私なのか。
そうやって私に囚われているとどこまでが私なのか分からないけれど。
私なんて無い。
代わりに、今、服を纏った、胃に朝食のある、コレがある。
コレは流動的だ。
常に変化する、ひとところに留まらない。
過去も未来もなく、今ここに私と言うよりか、コレがある。
岡田監督は、優勝をアレと言ったけれど。
阪神タイガースも、コレでしかなくて。
どこまでが阪神タイガースか分からない。
目の前にいるチーム、選手、球団、ファン、いろんなものが、阪神タイガースになったり離れたりする。
優勝も明確なものがあってのアレでなくて、ただ、より野球が上手くあろうと色々した結果のアレでしか無い。
アレが付随したコレになった。
それだけだ。
どんな服でもどんな見た目でもどんな中身でも、コレでしか無い。
私の領域、なんてないのは、私なんてものはないからだ。
でも、明確にコレがあるし、コレだけあれば充分。
私というものから離れたとき、コレになれたとき大人になれる気がする。
頑張ろうな。