ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

幸せが泣ける

昔は幸せが怖かった。

幸せであればあるほど、自分を傷つけないと許されない気がして。

幸せであればあるほど申し訳なくて。

幸せが苦しかった。

 

けれど今は、幸せを受け止められるようになった。

結婚してからずっと、毎日、幸せで泣ける。

しみじみと幸せだなぁと思って涙が出る。

ありがたいなと。

 

幸せであることが、申し訳ないと思っていた。

親は不幸なのに、私が幸せであることが。

お前のせいでお母さんは不幸だと言われていたから。

親と縁を切って。

やっと幸せで良くなった。

 

親と縁切った当初は、なんか、幸せになる申し訳なさや色々な葛藤もあったけど。

数年経って、やっと息が吸えるようになって。

ただ、普通に、幸せでいいんだ、幸せだ、と思えるのがこんなに尊いとは。

 

親と縁切っても良いって言ってくれた今の旦那にスペシャルサンクスやな。

正論言う人は沢山いるけど、ちゃんと寄り添ってくれる人と結婚できてよかった。

 

「親なんだから感謝しろ」とか、「親に育ててもらったのに」みたいな意見というか正論というか我々からしたらある種極論を言う人が多い。

外から見たらそう見えるんだろうな。

 

でも、自分が幸せになっても良いって、不幸で居なくて良いって思うためにどうしても、親と縁切ることが必要だった。

不幸じゃなきゃいけない、死ななきゃいけない、みたいな強迫観念がある人、多分ほとんどの場合、親から来てると思う。

似たような人には、「縁切っていいと思うよ」って背中押せる人になりたいな。

 

お前の不幸を望んでる人を、「お前は出来損ないだ」って常に語りかけてくる人を、親だから、世話になったからってお前の側に置かなくていい。

距離感取っても、そいつらは心の中で生き続けて、自分で自分を常に否定するようになって。

毎晩自殺を試みるほど辛くて。

自分は生きていることもダメな存在として毎日毎時間毎秒、刻々と定義され直すような、気が狂いそうな感覚があって。

そうやって苦しむなら、いっそ心で親を殺してしまえ。

 

みんな幸せになっていい。

誰も出来損ないなんかじゃない。

みんなそれぞれシャンと生きてんだよ。

今の幸せを噛み締めて、ただ受け止めて、ありがたくて泣けたらそれで良いんだよな。

申し訳なくなんかない。

幸せを感じることに罪なんてない。

 

ただそのままの幸せを感じることがこんなに尊いって知れたのは、ある意味親のおかげかもしれないなって思ったりするけどね。

親が私の不幸を願ってくれたから、今心からの幸せを噛み締められてるのかも。

 

ありのまま、そのまま、幸せに生きてこうな。