言われたことを言語化、イラスト化しないと理解できない。
感覚で理解できない。
一つ一つの動作に分解して順序立てないと覚えられない。
子育て始まって、おむつ替えも、おっぱいも、全部、他のお母さんみたいに自然と出来るようにならない。
回数を重ねたって、あたふたして、一向に上手くならない。
すごく下手なままだ。
都度都度で気付きや学びを書いて、並べて、システム化しないと上達しない。
動作を抽出、コツを抽出、動作ごとに並べて、どこのコツか横に注釈。
これをしないと理解できない。
言われたことを一つやろうとすると一つ抜け落ちてしまう。
メモさえ取って、それを見ながらしっかり動作を覚えられれば、他のお母さんと同様に出来る。
こんなだから、陸上競技や水泳をしていた。
言語化、システム化が出来るから。
スタート一歩目二歩目三歩目の歩幅、クラウチング時の重力の配分、スターティングブロックを蹴る角度と力、地面を蹴る時の力の掛け方、20Mまでの歩幅、歩数、体を起こすまでの距離、腕の角度、足首の角度、等…。
多いけども、競技ごとに紙一枚に書き出せるくらいにはやるべきことは有限だ。
球技が苦手なのは言語化やシステム化が難しいからだ。
全てのパターン(球速、角度、ボールの位置、相手の位置、自分の位置、そこから自分の打つべきボールの速さと着地点、それに伴った足の踏み出し方、ラケットの着弾時点での角度、ラケットの速度等…)を事細かに書き出すのが不可能に近いし、それを頭で思い出す間に決着が付いてしまうから。
仕事でも、人が頭で覚えるような分かりやすい作業も、最小単位まで細分化して、やるべきことを明記しないと上手くできない。
打ち合わせなんかもう、挨拶、名刺の渡し方、相手への接し方、伝えるべき点、その伝え方、聞いておくべき点、その聞き方、聞かれそうな点、その答え方、わからなかった時の事項ごとの対応等…かなり細かいところまで書いて書いて詰めないと、かなりの確率で失敗する。
というか、すぐアタフタして、そもそも話にならないし不信感を与えてしまう。
言葉や紙やペンの充実した時代に生まれてよかったなって思うよね。
平安とか、庶民に紙が行き渡らない時代に生まれてたらと思うとゾッとする。
たくさんメモして、他のママくらい落ち着いて行動できるようになろうな。
感覚で適当にバランスとって尖りつつ楽しそうに生きてると思われようとしているし、実際そう思われてるだろう。
本来の感覚理解の不可能な自分と、相反する印象を人に与えることで、中身とのバランスを取ろうとしてるのかもしれないね。
その辺を揃えていけたら良いんだけどもね。
感覚で生きられないのを心から認めて、それでもそこでどう生きるかだと思うので。
いつか、わざわざ出来ないことをできるフリせず、自分の等身大で勝負していけたら良いな。
頑張ろうぜ。