ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

一面だけを見られること

今日、NHKでLGBTQの特集してて。

 

一般的なヘテロセクシュアルの人間は、彼らのLGBTQであるという一面だけを受け取ることがあるらしい。

ビアンなら、ビアンである前に人間で、性格や好きな音楽、趣味みたいな、色んな特徴があるのに。

でも、彼女のビアンである、っていう一面だけがピックアップされる。

 

ヘテロでもそういう事あるよね。

職業とか、趣味とか、何か特殊なら、そこがピックアップされてしまう。

この、一面だけで見られること。

それに生きづらさを感じることもあるよなぁと思うけど。

 

一面しか見られない方が楽だと思っちゃった。

なんか、不謹慎だけど。

ビアンなら、ビアンキャラを作ってしまえる楽さはあるよね。

私も、「バカで能天気」みたいなキャラを押し出してやってたので。

 

私そのものを見られないことって、楽ではあるんだよね。

用意した一面だけ見られてた方が楽。

個性出すのって、自己防衛でもあるんだよな。

 

LGBTQは、普通のこととして取られて欲しいけども。

ラーメンが好きとか、ピーマンが嫌いみたいな。

変えようがないからね。

 

でも、オカマらしいオカマは、そのキャラクターでいることで、何かを隠せて楽なのかもしれないし。

キャラクターの濃さって、その人の防衛心の強さなのかもなぁと思ってみたりするよね。

 

どんなセクシュアリティでも、どんなマイノリティでも、普通にしていても良いからね。

 

逆に、キャラ付けせずにいる、普通の方々というか。

何か自分を飾ろうとか、こう見せようとか。

一面を際立たせないで居られる方々。

ありのままを見せて居られる方々。

マイノリティでも、聞かれたら事実を淡々と答える方々。

そういう人の凄さを感じるよね。

 

多角的に自分を捉えられてしまうことを良しとしているというか。

 

まぁ、一面ばかり見せるのって、それらしくあるために、自分にも相手にも嘘吐かなきゃやってられないから。

答えが分かってても、頓珍漢な答えを言ってみたり、大袈裟にバカなことしてみたり、そんなことを繰り返してた。

 

そういう嘘吐きとして、これまでずっとやってきた。

でも、今更、嘘つくの辞めて。

でも、嘘つくの辞めた時、私には何もない事に気が付いてしまった感というか、私は何者なのか分からなくなった感というか。

 

オカマじゃなくなっちゃったオカマみたいな。

 

どうすれば良いのか分からないみたいなところはあるね。

まぁ、どうもせず、そのまま生きれば良いんだけどさ。

 

こうな、脱線したけど。

どんな属性を持ってても、嘘付かずにいれたら、それを誰にも咎められなかったら、そんな世界なら良いなって思うよね。

自分も、相手の持ってる色んな属性をそのまま受け止められる人間になりたいなぁと思うね。

 

頑張ろうな。