ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

精神的に一度壊れてからが人生本番

過去に壊れたことがある。

 

自分以外の全ての人間が敵に思えて。

誰も信じられなくなって。

コンビニの店員も怖くなって。

業務中泣いて仕事がままならなくて。

職場で頻繁に倒れるようになって。

迷惑かけるからって、嫌われてるって思い込みで仕事やめて。

子供相手なら大丈夫と思って家庭教師始めたけど、小学生相手にビクビクして震えてしまって。

友達家族恋人全員と縁を切って。

1ヶ月ほど誰とも話さず引きこもって。

 

結局病院に行って。

病院に行っても考えがまとまらなくてうまく話せなくて。

通院して。薬飲んで。

今の旦那とも関係が始まって、最初は深夜まで毒を吐くためのサンドバッグ兼セフレみたいな感じだったんだけど。

なんか、誰でも良かったんだけどね。

全部吐き出したら良くなったし、この人が好きってなった。

病院と旦那のお陰で今はだいぶ良くなった。

 

なんだろうな。

壊れ、ジワリジワリと来るんだよな。

どこかしらいつも痛いから、仕事辞める前半年は1日10錠〜20錠イブ(頭痛薬)飲んでて。

そうじゃないとおかしくなりそうで。

家がどんどん散らかって。

キッチンは洗ってない皿が半年くらいあって。

床も見えなくて。

窓もずっと開けてなくて。

お風呂もだんだん入らなくなって。

ゴミだらけであまり眠れなくなって。

常に気が狂いそうな感覚があって。

それがおかしいとか思わないというか。

気づいたらそうなってるんだよな。

本当の本当に崩壊するまでは病識がない。

周りも全員、本当に敵だという認識で。

それが病気だって感覚がない。

 

精神病になったことのない人には、こういう鬱の感覚って分かりづらいし、良くなって来てる今その感覚を思い出そうにも少しモヤが掛かったようにしか思い出せない。

 

壊れることには意義があると思うんだよな。

一回壊れると、確かに壊れやすくはなるんだけども。

ホルモンが出やすくなるとかで。

でも、壊れた境地を経験すること、というか、一回自分の超自我(自分はこうあるべきという規範)が物理的に果たせなくなってぶっ壊れることには意義があると思うんだよな。

こう、自分を許せる範囲が大きくなるというか。

これまで鬱屈してきた分だけ、壊れ方が大きくて。

壊れ方が大きい分だけ、自分を許せるようになる範囲もより大きくなる。

 

それがないと、ずっと超自我に囚われたまま、規範に沿って生きなきゃいけないから。

規範を果たせない自分を罰し続けなきゃいけなくなるから。

だから、壊れて、自分の学歴とか仕事とか、へし折られて、何も出来なくなって、何も考えられなくなって、何もなくなることが、変わるには必要不可欠というか。

壊れることは、超自我から自分を救ってくれるんだよな。

 

だから、壊れて、全部ダメになって、人に迷惑かけてもいいんだよな。

殴られても迷惑かけられたい旦那みたいな人もいるし。

 

そもそも超自我が少ない、優れた人格者だってたくさん居るから、壊れないことに越したことは無いけれど。

 

壊れてからが人生本番というか。

息をするだけでも苦しいような、今すぐ消えたい、死にたい気持ちで前が見えない、そんな超自我の強い人は、一回壊れたほうがいい。

壊れるから人生楽になる。

人生本番、って、別に本物の人生であることには壊れる前も後も変わらないんだけど。

ただ、壊れる前は枷が重すぎて楽しめなかった人生が、やっと少しずつ楽しめるようになるというか。

視野が広がるというか、気楽になる。

まだ少し枷がある感じがするなら、まだ死にたいなら、何度も壊れても良いんだよな。

壊れるたびに人生がマシになるから。

 

あの頃はどう自分を罰しようかとか、自分を殺すこととか、そればっかりで頭がいっぱいだったけど。

今は、別のことを考えられる余裕がある。

だから、壊れてよかったなって、今は思える。