悪人が分かる。
何故なら社会の底辺にいたからだ。
クラスや部活、どこに行っても私は人として最下位だった。
体育の時間、遠足の班決め、いつも余り。
喋ったこともない子に面と向かって暴言を吐かれる。
同じクラス、くらいの繋がりの薄い子には、あの子なんか嫌い、って、ずっと言われてきた。
大多数になんか嫌いって思われてきた。
教師にも「その可哀想な目を向けないで」って言われた。
下を向いて、顔色もいつも真っ白で、オドオドして、話も辿々しくて、自分の意見をちゃんと言えなくて、人の目を見て話せない、そういう弱い人間だった。
自分で分かってた唯一の美点は率直なところだったけど、人への思いやりがない率直さで。
余裕の無さから考えるよりも口が先に動いて、率直にならざるを得なかっただけだ。
だから、
「なんか暗い。」
「話が通じない。」
「何考えてるか分からない。」
そう評されることが多かった。
大学の女友達にも「話したことなかったけど最初キモかった」「一年の頃嫌いだった」と口々に言われた。
私も私のこと嫌いだった。
あの頃、他の追随を許さない弱者の負のオーラがあった。
こういう底辺の人間に、人間はありのままの人格を見せてくれる。
沢山の人が、暴言、セクハラ、騙し、金をせびり、ありとあらゆる悪意を向けてくれた。
何故なら弱いから、いつも1人だから、仲間が居なそうだから。
弱者には悪いことをしても影響がない。
何故なら弱者に影響力がないからだ。
圧倒的に弱者だったからこそ、私は悪人が分かるのだ。
けれど同時に、悪人が見抜けない人の多さにも気付いた。
数人の友達には、この人とこういうことがあったから気を付けて、と伝えることがあった。
彼らは、「あの人はいい人だよ」「悪い人じゃないよ」って言うけれど。
それは、あなたが私より強いから、その悪い一面を見せてないだけなんだよって思ってた。
私が居なくなると、矛先がそちらに向いて、「やっぱり悪い人だった」ってなったり。
人間は環境で変わる。
まぁ、その友達というのも「ゆかりは可哀想な子だから一緒に居てあげる」って別の子に言ってたんだけどさ。
で、「優しい〜」って茶化されてた。
弱いから分かることが沢山ある。
強いから、分からないことも沢山ある。
あの頃は、「強くなると、悪人が悪を発散する受け皿が私から別の人に移動するだけ」と思っていたし、実際そういうものだ。
そして、弱者であることが自分の出来る、ある種社会貢献活動だった。
誰かを傷つけなければ、自分が傷付かなければ、本当は弱い方がいいかもしれない。
まぁ、傷つくんだけどね。
沖縄来て、毒親から離れたことで、少しずつ明るくなって、自分を少しは大事にしようとか傷つきたくないって少しずつ思えるようになって、底辺から抜け出した。
尊厳を少し取り戻した。
自分の考えで、働いたり、友達作ったり、結婚したり、色々経験して、少しずつ変わってる。
あの頃、私にとって悪人だった人も「あの頃は申し訳ないことをした」と謝ってくれることがあるくらい。
私にとってかつての悪人でも、誰かにとってはいつも善人で、今の私にとって大事な友達になってたりする。
強くなったからこそ分かることがある。
弱者から見るとその人の悪い面ばかり目にすることになるけど、強くなると良い面を見せてくれることが多くなる。
人は一方からでは測れない。
けれど、地元にいた頃、こちらに来たばかりの頃に経験した、圧倒的な弱者の世界っていうものも必ず忘れないようにしていきたい。
弱者への人間の冷たさを知ってるからこそ、自分は弱者に優しくできたらいいな。
という吐き出しでした。