押し付けの善意が嫌だ。
こうした方がいいだろうって、善意を押し付けられるのが嫌だ。
喜ばなきゃいけないのが嫌だ。
押し付けの善意と、選べる善意がある。
選べる善意、善意の提供はすれど、「私も今来たところ」とか「少し多めに出来ちゃったから貰う?」とか、相手が受け取るか選べるような善意。
押し付けの善意、「2時間前から待ってたんだけどね、君のことが好きだから」とか、「君のためを思ってやったことなのに」とか。
受け取らないと気まずい善意。
良かれと思って人の人生に踏み込まないで欲しい。
勝手に私の弱さの犠牲にならないで欲しい。
自分の欲望に素直に生きて欲しい。
私も私で素直に生きるからさ。
親が押し付けの善意持ってる人間、悲惨だよね。
別に私が何をした訳でもないのに、勝手に親が私のせいで不幸になってくの。
「お母さん辞めたい」って言われるの。
少しでも不満を言おうものなら、学校のことでも、親に関係ないことでも、「お母さんのせいって言いたいの」って。
そして、勝手に母親の役割を自分に課して、勝手に子供に失望して、勝手に自分のせいだとか思って自殺するの。
善意で自殺しようとするの。
結局自殺出来ないし、本気じゃないから何度も未遂に終わって、閉鎖病棟行き。
本当にやめて欲しいね。
そんな人間が子供産むなよ。
親のために子供産むのは仕方なかった、とか、なんとか。
その自己犠牲の精神、痛いよ。
親見て、そんな親のために自殺してあげようと思った子供である私も寒かったよ。
もう、そうならないようにすれば良い話。
親も早く気付けるといいんだけどね。
我々は我々で強く、自分勝手に、でも優しく生きような。