ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

男親が居ない男性は優しい

シングルマザーや祖母に育てられた男性は、男親に対する不満が重なって、多かれ少なかれ男性嫌悪がある。

自分の属性に対する嫌悪感があるからなのか、所作が綺麗で言動にも品があって、弱いものを排除するような暴力性がないというか、本当に優しい。

矛盾になるかもしれないけど、ジェントルマンだ。


逆に男親が居る男性は下品というか、自覚のない暴力性が滲み出てる感じがして好きになりきれない。

一概には言えない部分はあるが。


そして、女性性を受け入れた女性はもっと嫌だ。

勝手に自分で一歩引いてるのに、それを男性と一緒になって他の女性にも求めてくるの本当にキツい。

大半の男性がどうしようもないのはそんな女性のせいだ。


昔から男性という性自体なんか嫌で、これは身を守るための本能だって自己正当化してきたけれど、女性も嫌というか性別ってシステム自体が嫌だ。


そして何かを嫌になる自分も嫌だ。


どうすれば性別が嫌なの治せるんだろう。

どうすれば人間が嫌なの治せるんだろう。

どうすれば男性や女性みたいな性を自分の中で穏やかに受け入れることができるんだろう、と思う。


男でも女でもないニュートラルで居たいし、相手をニュートラルなものとして受け入れたいのに。


って思ったけど、意に沿わない性別システムを受け入れる必要ないし、私はニュートラルで居ることもできるな。

生物学的な性差は認めている。

子供生むという行為自体、嫌だと思うけれど、それは男性的な社会システムに子供を産むという行為が組まれていないからで、私はメスだという自覚はある。

社会的な性別システムが意に沿わないだけだ。

私はニュートラルだ。

社会的には男でも女でもない。

男◉女って真ん中の点に丸付けような。


男であること、女であることよりも、性別というものそのものに違和感持ってる人って多いんじゃないかなと思うね。


男親の居る男性に内在する自覚のない暴力性を明らかにするような建築活動ってあるかなとか思うけどアートになりそうで難しいね。

街並み自体、障害者を排除するデザインだし逆説的なアートなんだけどね。


健常者も男性も、強いものはみな自身の振る舞いに暴力性がないか省みて欲しいし、自分も省みないとなと思う。