加藤死刑囚の死刑が執行された。
今日はその兄についても考えたい。
兄は、秋葉原の事件後しばらくして自殺した。
兄の自殺1週間前の取材の記事を読んだ。
加害者の兄は、決して人殺しはしていない。
でも、本人は親のコピーとして同じなので人殺しをするかしないかってのは紙一重と思っていて。
世間からの目も冷たくて。
死ぬ理由より生きてる理由の方が少ないからって自殺した兄の気持ちが痛いほど記事から伝わった。
兄は、幼少期、母親の期待に添えないと床の新聞紙の上にぶちまけられたご飯を食べさせられて育ったらしい。
自分本位な母親の正しさにハメられて、そこから逸れるとブチギレられるの、結構あるし、なんなら世の中の8割の母親は正しさの型を持ってると思う。
強制度の差と思う。
母親の狂気は現代病だ。
子供が1人2人しか居ないこと、そして、学業やスポーツなどで子供同士を比べる指標が多いことが、一人の子供に狂気の正しさを押し付ける原因になっている。
そして、あまりにも親の正しさを強制された子供は、他人や自分がその正しさから逸れると許せなくなっちゃうんだよね。
自分が正しさを強制されてきたのに、他の人が強制されてないとおかしいって思っちゃうし、辛くて殺意さえ抱く。
自分が正しさから逸れると、なんてダメな人間なんだって親のために死にたくなる。
だから、加藤容疑者も、正しくない人達が許せなくて秋葉原無差別殺人を起こしたと獄中の手記で述べる。
これは堪えしょうのない、客観視ができない加藤容疑者本人が悪いんだけど、兄だって正しさを押し付けられてきた分の殺意はあったはずで。
でも他殺に至らなかった兄は、殺したって意味無いって分かってるからだと思う。
無限に居るから。
正しくない人。
そして、殺意を抱いてしまうようなあまりに正しくない人間と距離を置くことが上手だったからなんだろうなと思う。
それでも、少なからず人を恨みながら生きることがつらくて、犯罪者の家族というレッテルが付き纏う中で自分も母の思うような正しい型にハマれなくなってきて、自分自身を許せなくなって、死ぬ以外なかったんだろうなと思う。
最後まで、母親や家族に執着があったので、結果自殺することになったんだろうけど、母親への執着を手放せば、縁を切れば、型を定義する存在が居なくなれば、自殺しなくても良かったかもしれない。
死ぬくらいなら強くならなくてもいいし、家族は捨てていい。
私自身の親もガチガチの型を強制するタイプの人間だった。
型から逸れたら私は透明人間になって、何を話しかけても無視された。
弟は目に入るのにわたしは透明人間。
愛情かも、娘の為を思って透明人間にしたのかも。
だから、私も私の正しいと思う人間以外全員許せないし、存在を無視したくなる。
そして「許せない」が口癖で、正しくない人は周りに置かないようにしてる。
不快な人に対しては、毎日の様に、許せない死ね死ね死ね、もういっそこの手で殺してやるって思う。
殺したいのは、100発100中オジサンなので、力で敵わないから鍛えてる。
話は戻るが、加藤容疑者とその兄は、自殺や他殺に至るくらいの強い殺意を持っていたと思うから、生きるのマジでしんどかった思う。
避けても避けても、正しくない人間はたくさん居るわけで、もう、殺意から逃れるには死ぬ以外ないし。
そんな死のうとしてる人、殺そうとしてる人へ。
どんな境遇でも、正しさの型に嵌めてくる人間から離れて、死なずに生きていれば、少しずつ人を許せる範囲広がって、そして自分を許せるようになってくことを知ってほしい。
型が強ければ強いほど時間はかかるが、絶対に良くなるから。
死のうとしてる人は、自分を許すことが出来なくて死のうとしてるでしょう?
殺そうとしてる人は、相手を許すことができなくて殺そうとしてるでしょう?
自分を許せないのも、他人を許せないのも、殺意を抱くほどってことは、相当に辛いはずだ。
でも、自分が押し付けられた正しさを、相手や自分に当て嵌めなければ、相手や自分がどんなクズな人間でも、(親族殺されたりレイプされたら分からんが、)殺したいほど憎くはなくなる。
あなたを正しさの型に嵌め込んだ人間から、離れて、5年だけ生きてほしい。
そもそも、そんなしょうもない型なんて本当はどこにもないことに気づくはず。
毒親や毒恋人、毒旦那、毒妻から今すぐ離れて。
私の弟も自殺未遂したらしいが、マジで早く実家から逃げてほしい。
そして、私は、狂気の母親にならないよう、子供と自分をしっかり切り離して考えたい。
自分の人生をまず楽しんで、子供は子供で一緒に楽しめる部分は一緒に楽しみたい。
子供を誰かと比べるんじゃなくて、自分と子供との関わりの中に何かを見出せるようにしたいなと思う。