愛している旨の表示を怠ることは、パートナーとしての欠格事由となり、恋愛関係の取消し処分となる。
愛されたかった。
結婚も、「して欲しそうだからしてやる」じゃなくて。
「結婚したい」と思われたかった。
子供も「お前のために作ってやる」じゃ無くて。
「欲しい」と思われたかった。
私は要らないと思ってたのに、「老後寂しいだろうから作ってやる」みたいなこと言われたく無かった。
私を望まれる前に子供を望まれているようで嫌だった。
だから、前の人とは結婚しなかったんだけど。
望んでくれないなら、本心では望んでたとしても望んでないようなスタンスを取り続けるなら、もういいやって。
対等でない、この力関係のまま一生が続いて、一生誰からも望まれない人生が嫌だった。
わがままで結構だし、探せば望んでくれる人なんていくらでも居る。
私に新しい価値観を提供してくれそうだから、議論ができるから、そんな人なかなか居ないから、こだわってたけど。
価値観は自分で見つければいい。
議論は恋人とする必要ないし、本でもできるし、既存の議論の場に行けばいい。
いい議論相手を1人失っただけ。
今愛されてて、結婚も子供も望まれてて、ほんとに良かった。
初めてわたしを前置きなしに素直に愛してくれた人。
仕事にはプライドを持ち、自分にはプライドを持たない人。
私も相手を望んでるし、相手も私を望んでくれる。
対等でないなんて一切ない。
私を望んでくれる人が居るってだけで救われる。
望まれたい、愛されたい、俗人的で感情的な生き方でいい。
自分の価値観のために自分の感情を切り捨てられるほど、私は高尚な存在でない。
理性的であるか、もちろん大事だけど。
理性的に全て判断して確固たる自己像を持つ人生になりたかったけど。
私の思うこうあるべき私像なんて感情の前には要らないし、ありのまま率直に、感情的に、それでもより良くあろうと優しくあろうと見苦しくもがく私で居たい。
変わっていきたい。
たくさんの人にどう思われても構わないけど、誰かに強く望まれたい。
愛されたかったけど、愛されなかった。
愛されたかった。
愛されなくて辛かった。
愛される価値がないと思い込んでいて苦しかった。
愛される価値がないなんてことは無かったよ。