私のこと雑に扱ってくれる、無価値なものとして扱ってくれる人が好きだった。
誰かの都合のために利用されるのが、騙されるのが、たまらなく良かった。
友達でも、恋人でも、家族でも、集団の中で、私はいつも一番の無価値な人間だからこそ、無価値であるという居場所があった。
善意で騙されてるのに、善意で利用されてるのに、「〇〇酷いよな」って相手が悪く言われると、なんか違うなぁって思ったりする。
付け入りやすくて騙しやすくていつも不幸で無価値な人間であるのは私が選んだことなのに。
付け入りやすい人が居ないと、他の誰かが犠牲になるでしょう?
私は犠牲になりたくてなってるし、それが幸せだと思ってるし、Win-Winなので。
無価値であることにプライドがある。
無価値は最も必要な存在だから。
誰かの相対的な価値を高めるために。
無価値こそ最も価値のあるものと同質というか。
無価値が全ての価値の根源なので。
私に相対的な無価値を提供してくれる場所を自分から求めている。
価値がつきはじめたり、私の無価値が役に立たないときには、無価値になれるところに身を移せばいい。
本当は価値なんて本人が決めることで、誰かの価値で生きる必要なんて誰にも無いんだけどさ。
無価値で人権ないから、誰かと関わるとき「私なんかが話しかけて申し訳ない」とか「私如きが仲間に入れてもらえて心苦しい」とか常に思ってるけども。
だからこそ、最大限集団の中での無価値を発揮するピエロとして活躍することが恩返しというか。
私を無価値にしてるのは他でもない私なので。
勝手に無価値をやってるので。
変に価値を見出さないで欲しいな。
私は無価値なので。