私でないとダメな場所、ダメな人、ダメな仕事。
そんなものはないと知ったのはここ数年のことだ。
自己肯定感が不足するのは、自分の必要性を感じたいと思うからである。
この場所には私が一番相応しい。
この人の魅力は私にしか分からない。
この仕事は私だから成し得た。
そんな自分だけに与えられる必然性が欲しかった。
でも、私しか出来ないことなんてなくて。
誰かにしか出来ないことなんてなくて。
私だから出来ることを探しても見つからなくて、私しか付き合えない人なんかも見つからなくて、私の私だけの場所なんてなくて。
結局何もかも流動的というか。
留まらないし、そこにそれがある必然性なんてなくて、何もかも偶発で。
だからこそ、必然性が見つからなくて、自分の居場所なんてどこにも無いんだって、悲観的になって。
だけど、それって名のある小説家だって科学者だって大谷翔平さえも多分そうで。
いつか記録は塗り替えられるし、新しい発見や発明だって、だれかがしなくても、別の誰かが積み重ねの上に必ずするもので。
きっと自分しか出来ないことがあるとか、そういうありもしないことを願うことでズタズタになるのはアホらしい。
結局目標も結果も自分の中にしかないというか、自分の中での過去との比較が全てというか。
人と比べて自分にしか出来ないことなんて信じても、
そもそも実現可能性を欠いてるよねって思ったりするよね。
別に旦那の嫁は私でなくて良いし、私の旦那は彼でなくていい。
天職なんてないし、私だからこそ求められる場所なんて無い。
あるのは能力による足切りくらいで。
自分の中で着実に進むことだけが大切だろうなって。
誰かだけに与えられる場所も仕事も人も居ないけど、その中で自信持ってる人間なんて全員が根拠のない自信なんだから、私も根拠のない自信を持てば良いのよね。