ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

私と社会性の間

普通に、生きたいと思って。

誰にも褒められないように。

誰にも褒められず見向きもされなくても、自分を好きになりたいなぁって。

そしたら無敵だなぁって。

 

最近、普通にしなきゃ…普通ならこうする、普通なら…と過ごしていたら、今日突然、菅田将暉しか着ないような服をdesigualで何着も買ってしまい、そのままギラギラターコイズのネックレスと赤いアイライナーまで買って、現代アート的な何かを描き始めた。

 

自我が強い。

 

私らしさに引っ張られてそれを目指していいのかもしれないな。

人に評価されると、私の私らしさが私のものではなくなってしまう感覚が問題点であった。

でも、そもそも私の私らしさは私じゃないし、私のものでもなくて、日々変わりゆく自然のもので。

私らしさは、パッションであり、発せられるもので、私に内在せず表出されるもので、それを評価するしないは個人の自由で、その評価というのも自然なことだし。

私が私として私らしく生きる中で、そこでの社会性を見つけるというか。

社会が先でそこにどう合わせたらいいのかでなくて、自分が先で社会とどう関わっていくかなんだよな。

 

先になる自分を固めるのに普通に生きて他者を排して一から自分を再構築しようと思って居たけれど、既存の私らしさが変わる気はしないし。

そこに自信をもつというか、当たり前にあるものとして捉えて、そこからなのかなと思った。

 

この感覚を理解できるの、私と同じく自我が明確に自分だけのものとして分離しているというか、自我に社会性がない人だけな気がして居て。

元彼とかは数少ない理解者であり自我強人生の先輩であるんだが、彼の彼らしさに私の私らしさが折れてしまったので、自分らしく人と関わることの難しさを感じる。

私らしく居ながら人と関わる上での、バランス感覚を失敗しながら学んでいこうな。