ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

徒然駄文

一、宮舘くん好きになればなるほど前の人を思い出すのは似てるから。
性格も優しさの質も価値基準も。
身長も体重もイケメン度も。
宮舘くんはアイドルとして、いろんな経験して色んな人に出会って生きてるから、場数が多い分精神的な成熟度も高い。

タイプなんだ。
見てて笑顔になれる。
自分軸で生きてるようで、めちゃくちゃ他人軸で、ナチュラルに他人を楽しませようとするところが好き。
自分が何を求められているかを常に考えているところが好き。
見る側を意識した「俺を見て」ってダンスが本当に好き。
大好き。

宮舘涼太をずっと見てたい。
でも、隣に立つのは違う。

宮舘君、優しいが故に変に考え過ぎたり、変なプライド持ってるんだろうなとか、勝手な解釈で物事を進めていってしまうんだろうなって思うのは、私が本来そうだから。

最近の舘さんは思ったことを都度、素直にキチンと伝えるように気を付けてるのわかる。
怖かったろうけど、良く踏み出せたなぁと思うし、胸熱である。

普段のファンへの対応や、スタッフさんや後輩への心遣いに惚れるし、心の底から優しいの分かるし、メンバーも他メンのファンも皆んな舘さん好きだと思う。

でもやっぱり見てるだけで良いやと思うよね。
最高に素敵な人であるんだけど。
一生一緒に過ごせはしない。

凝り固まったプライドを一緒に剥がして一緒に苦しみたいと思う苦しい人を好きになることが多かった。
でも、宮舘くんも私も好きだった人たちも、苦しむ必要なんて無かったことに気が付いた。
苦しむのは、自分の過去未来や他人から見た自分に気を取られ過ぎて、今の自分や周りの人達のありのままが見えなくなってるからで。

二、私は苦しみたくない。
苦しいのは全てが生産の苦しみと思ってた。
苦しいから見えるものが有ると信じてた。

その苦しさを俯瞰すると、あぁ、自分に焦点が向いた苦しさでは何も生まれないなと気が付いた。
自分の生み出すものが相手からどう評価されたとか、自分にどんな役割が求められるかとか、そういうことで苦しむ必要はない。
生産に至る立ち回りも楽しむ要素である。
苦しんで生まれたものと楽しんで生まれたものは、同じ人が考えるんだから物自体きっと同じになる。
何故なら経験と積み重ねからの出力でしかないからだ。
苦しんで生まれたものには鬼が宿り、楽しんで生まれたものにはティンカーベルが宿ると思う。
わざわざ苦しむ必要なんてない。
それより、自分のやりたいことが表現出来ないアウトプットの拙さに苦しさを感じたい。

そして、
三、連休楽しかった。
彼氏と行った動物園のマレーグマ、最高に可愛かった。
立ったり、木組に登ったり、様々なポーズで30秒くらい立ち止まって、各方面に目線をくれる。
人が入っているのかと思うくらいの最高のクマ。

一緒に見たワンピースも面白かった。
コビーとルフィの関係性が熱いし、ウソップとヤソップの関係性も熱いし、とりあえず、熱盛だった。
シャンクスとルフィも、シャンクスとウタも、それぞれ良いんだが、コビーがルフィに命を救われたとか、ウソヤソ親子とか、そういう重たい関係で本当は大好きなんだけど、敢えてサッパリ行くの熱いよね。
「仲間だ!(ドン)」みたいな絆よりも涙腺に来る。

あと、一緒に見つけた古本屋で、出だしの一ページ(下記)に惹かれた放浪記を買った。

…私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…したがって旅が古里であった

これから読む。

四、幸せです。
皆様もお幸せに。