ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

傾向はあるけど必然はない

算数を学んで、ニュートンを愛読し始めた小学4年生くらいの頃、世の中の全ての物質の位置や運動を入力すれば、全ての物事の結果は予測できると思った。

世の中の全ては必然によって出来ていると。

思考も災害も戦争も何もかも、それがそうあるというのが必然で、自分すらもその必然の中に組み込まれて、私が私だと思ってるものが私でない感覚が生まれて。

それまでは自由意志を持つのは自分だけとか誰もが通るような痛い思想を持ってたけど、自分自身の意思すら存在しないということに気が付いたというか。

 

まぁ、たくさんの確率の掛け合わせで世界は出来ているので、必然ではないって後々高校くらいで気付くんだけどね。

傾向はあるけど。

だからって何がどうってわけでもないけど、書くこともないので。

 

自分の意思はみんなそれぞれ1%くらい存在するんじゃないかなって、意思や行動の99%はオートというか、傾向というか、ある程度既定路線だけど。

なんとなく1%くらいはあってほしいし、自由意志が存在するって信じたいし。

全て遺伝子と環境といろんな要素の組み合わせからの必然というか、当然の帰結って考えたら辛すぎるので。

世の中の素敵な人間も、ダメな人間も、須く、自由意志で1%くらい軌道変えられるって信じてたいね。

だし、どれだけ自分の意思で努力したって1%しか人生変わらないんだから、努力を恐れる必要はないよね。