正しさより法律より大事なものがあるなと思う。
人間は個ではなく集団だからだ。
集団の中で個の正しさを貫こうとする人間は、集団にとってのガンに他ならない。
元職場での私はガンだった。
集団の細胞として、正論は求められていない。
私の発言は、明らかに集団の一員としての範疇を超えていたように思う。
わざわざ「タバコは体に悪いですよ」って喫煙者に言うと角が立つように、パワハラセクハラ上司に「それはセクハラです」と言ってはいけない。
「会議の場で相手をバカと罵るより、もっと前向きな話し合い方があるのでは?」とは間違っても本人に言ってはいけなかったのだ。
みんな正しさや法を分かっていて黙っているのだ。
集団の一体性を保つ為に。
割れたら非効率的だ。
正しくなくても、遠回りでも、多数が気持ち良く仕事できるのが良い。
セクハラ、パワハラを訴えられた上司は、さらに高圧的になる。
レイプされない限りは、左遷されたり自分に害が及ばない限りは静観して、そして、出来るだけその上司から遠いプロジェクトに手を挙げるみたいに、積極的に逃げたら良い。
集団の規律を乱さない範囲で逃げろ。
誰かがやらなきゃいけないその上司とのプロジェクトだ。
もし、逃げられなくても、上手に煽て、お客様より上司が納得することを第一の目標にしたら良い。
お客様は、会社という集合体にとっての栄養だが、上司は集団を構成する一部だからだ。
集団の均衡を保つことが最も大切だ。
就職する前までは、会社のみんなで意見をぶつけ合って一丸となって良いもの作って楽しく仕事してお金貰えたらラッキーじゃんって思ってたけど、そんな会社はない。
正論は言わず、上司に気持ちよく働いてもらうことで、集団としての会社の動きが円滑になり、クレームは減り、会社の売り上げが堅調に上がり、納税額が増え、地域社会への貢献に繋がるのだ。
個人の理想をぶつけ合って、切磋琢磨して成長していくだなんて、家族でもそんなことはしない。
集団の中でバランスを取りながら、社内、家庭内の円滑化のキーパーソンを目指すのが出世の近道だ。
そして、つい正論言っちゃうのは女性に多いらしい。
女性は深く考えずお喋りする中で情報の取捨選択を行うことに特化しているからかもしれない。
男性は狩りの中で集団の均衡を保ち生存率を上げることに特化してるのかもしれない。
まぁ、そうやって集団に重きを置きすぎるヘル日本だからこそ、第二次世界大戦に進んだんだけどね。
「失敗の本質」良著でした。