ゆかり徒然日記

鬱病から引きこもりにランクアップしたアラサーのブログ。

崇高な人

前の人は最初から特別で、俗じゃない崇高な何かを貫いてるって期待があった。

絶対的な価値基準を持ってるように見えた。

一緒に居たら道が示されると思ってた。

途方もない期待を他人にして、他人の価値基準で思考停止して生きようとしてた。

この人しか目に入らなかったしいなかった。

んだけど、そんな特別な価値基準なんてないし、いや、今もやっぱり尊敬する部分はとてもあるが、人間なので普遍も絶対も無いし、言ってることも変わるし考えも変わるし価値観より評価を気にすることもある。


私も本当は自分の価値基準でもがいて生きなきゃいけない。

沢山の人の価値基準にタダノリしてきた。

最初は母、次は陸部の女子部長、その次は前の人、みんな、周囲に流されないよう自分の個を持とうとして生きてる素晴らしい人だ。

その価値基準を崇拝して取り入れてアップデートしても、結局私はその人たちでない。

不安で人に正しさや確かさを求めても、そもそも正しいことや確かなことなんて何一つない。

私の足でがむしゃらに正しくて確からしいと聞く何かから抜け出すことの方が大切なのかもしれない。


いま出会ってたら別の関係性もあったのかなと思う、勿体無いことをしてしまったな。

ロールモデルとか価値観タダノリの先に結局辿り着くのは釈迦だろうな。釈迦も結局人間なんだけどさ。