老荘思想、知識の上では知っていた。
夫は「知足(足るを知ること)」を座右の銘みたくしている。
それの引用元を調べたら老荘思想であった。
生きる苦しみを全く取り去ってくれそうな内容で、私の座右の銘は「成るように成る、為さねば成らぬ」から「無為自然(為すこと無く、自ら然る)」になった。
上善如水。
もっとも善いのは水が上から下に流れるように自然に逆らわず、柔らかく生きることだ。
欲を捨て、自分が知らないということを知り、自分の全ての能力は塵と同じで弱く力無いものと謙り、誰にも認知されず、争わず、埋もれて、ただ、あるがままに、生きる。
心を空っぽにし、知識を無理に求めず、そのときそのときの摂理に従って、何も手を加えずに。
上を目指そうとしても疲弊するだけだ。
徳を積もうとしても際限がない。
人を良くしよう、人に良くしようと思ってもそれはエゴだ。
世のため人のためは思うようにならず苦しい。
向上心を持って生きる限り、何をしても苦しい。
ただ、ありのまま生きれば良い。
夫にアドバイスを求めると「ありのまま生きれば良い」「そのままでいい、変わらなくて良い」みたいなことを言う。
私は変われなければ加害者になる人間で、変わるか死ぬかしか苦しまない道はないのに、何でだろうと思っていた。
でも、無理に変わること、自分の存在を否定することは自然に反することなのかもしれない。
夫本人も、ただありのままに、自分の欲するままに本を読み過ごし、目立とうとせず、何も発信せず、埋もれて過ごしている、老子のような人だ。
何か大事を成しても、誰にも褒められることも無ければ咎められることもなく、誰かの影に常に隠れ、自分が生きているだけで充分とし、何も求めず無為自然にいる。
私もそうありたい。
ありのままに、ただ自然に生きて、何も求めない。
アメニモマケズの宮沢賢治のように。
まずは老子を全文読んでみよう。