人間には、理論型と感覚型の2種類が居る。
理論型は、行動するにあたり具体的な目的を設定してそれに向かう行動を取るタイプ。
感覚型は、行動するにあたり場当たり的で、面白そうなことをやったり、とりあえず周りに流されるタイプ。
感覚としては凄く勉強が出来る人は理論型で、勉強が普通か出来ない人は感覚型。
理論型は目的意識があるから大概勉強が出来るし、勉強が出来なくてもある分野では芳しい成績を上げていたりする。
感覚型は目的がないのでどうしても全て浅くなりがちだ。
理論型で生きてる人も感覚型になる時はある。
というか、理論とか理性に沿った選択的行動を日常の1%でも取ることが出来る人は理論型と言っても良いと思う。
その割合の多い人が天才とか言われる。
尊敬。
普通の人は、頭で考えて、やることがぼんやりわかっても実行力がなかったり、そもそもやることが分かるほど解像度上げられなかったりする。
そもそも想像しようとしないこともある。
考えるんじゃない感じるんだスタンスで生きている。
経験値上げて経験則で場当たり的に判断する。
とりあえず手数を増やして色々やってみて感覚的に進んで行くと、そのぼんやりした解像度でもなんとなく何かを掴めるようになる。
私は完全に感覚型だ。
目的自体を明瞭にすることが出来ないからだ。
想像力が足りなくて、解像度を上げられない。
例えば、暗い部屋で薄ぼんやりした白黒テレビを音無しで(しかも数秒ごとにチャンネルの変わる)を見るような感覚でしか物事やその未来を想像できない。
所謂天才は、想像力が非常に高い。
4kのハイビジョン液晶でやるべきことと結果を時間軸ごとに鮮明に想像することができて、360°パノラマビューでイレギュラーまである程度想像出来るんだろうなと思う。
でも、白黒テレビみたいな想像力しか持ってない人や視野が狭い人が世の中の大半で。
フルカラーである程度時間軸の感覚を持って見れればエリートなんだろうな。
もし実行力というか手数がそこまでなくても、世の中や自分を明瞭に見られれば、ひろゆきみたいになれたりするのかも。
ひろゆきは感覚型であるとは思うけどね。
多分時間軸的な想像力が欠如してるから。
画素数の高いパノラマ写真や一瞬を切り取ったショート動画で物事を捉えるような想像力というか。
想像力の中に時間軸を組み込めない人間はどうしても場当たり的になるのだ。
そこをリカバーするために、時間軸を想像して行動できる周りの人に愛される能力があるんだろう。
そんな理論型の人の持つ豊かな想像力は先天的なものかも知れないし、子供のうちに決まるものかもしれない。
もう大人になったので大幅には上げられそうな感覚がない。
でも、今は感覚型でも、考え方次第で理論型になれる想像力を持つ人も居る。
たとえば、チーム競技とか球技が並以上に出来る人は理論型になれる素養がありそうだ。
想像力が乏しい人は、時間や空間が想像できないから、単純でない運動が総じて出来ない。
例えばバスケだと、チームメイトの思惑を想像できないからボールの飛んで来る場所がわからない、流れを想像できないからキャッチ・ドリブル・シュートそれぞれにブツ切れの動きになりワンテンポずつ遅れる、まずどう身体を動かせばボールをキャッチ出来るのかという想像が出来ないのでパスが通らない。
バスケが人より出来ても、ポストの下でボールキャッチしてシュートのみ、みたいな、単純な役割に特化するタイプも想像力が低いかもしれない。
野球だとヒット打てればOK、外野手なら陣地に飛んできた球取れればOKみたいに一点集中出来るから阪神糸井みたいに感覚型で活躍したりするけども。
素養がある人は、より想像力を働かせて広く遠く先の先の未来まで見ることを心掛けたらぐんぐん伸びると思う。
想像力が乏しいか全く無い感覚型で生きるしかない普通の人は、少しでも手数増やして少しでも経験則で判断できるところを増やして、地道にやっていこうな。
もしくは想像力のある人を味方に付けるとか。
私は一切の想像力に欠けてるので、空気が読めずトンチンカンだし、川の水をそのまま飲んでお腹を壊し、台風の中散歩して三角コーンに殴られ、一人旅しても警戒心が薄いので男二人に両腕捕まれて命からがら逃げ出した。
想像力が全くないメリットって、怖いもの知らずで誰もやらないリスクのある行動ができるところだ。
戦争でも敵に向かって先陣切る人は必要だし、ペンギンも海に飛び込む最初の一匹が必要で、納豆も最初に食べた人が居るはずで、こういう一切の想像力に欠ける人も世の中に必要なんだろう。
理論型の人へ、めちゃくちゃ尊敬します。
あなたのおかげで今後の世界は益々進歩していくでしょう。
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