今日学習塾に来た子が知的障害かな?と思うくらい理解を諦めた子だった。
とても真面目なのにまず分数の概念が理解できない。
筆算もできないし、小数も分からない。
説明しても分かろうとしないし、分からないまま進めるから全部間違えるし、何度も説明して、その時は自力で出来るのに、目を離した次の問題では間違える。
どうしたら良いのか分からないし、多分、生徒も分かることを諦めている。
ただ、親に連れられたから塾には来ているみたいだ。
本当に自分の能力を諦めることほど悲しいことは無いなぁと思った。
大体の人間は、解説書読んだり巻き戻れば絶対問題を解けるのは、分かることを諦めていないからで、分からないものを分からないまま進めることが気持ち悪いからだ。
彼は、分からないものを分からないまま進めることで、周りのテンポとズレず生きてこれて、分かろうとしないことが処世術になってしまったのかもしれない。
悲しすぎる。
多分わかるまでに、人より時間が掛かるかもしれない。
九九は覚えてるんだから、分かろうとすれば絶対分かるはずなのに、分かろうとしない。
多分小学3年生くらいで全部諦めてしまったんだ。
私も多分時間の感覚に障害がある。
でも私は一つも諦めていない。
私は次やることが考えられない。
人と同じやり方だと、何時間も同じところで固まってしまう。仕事が誰より出来ない。
やっと人並みに仕事こなせるようになった今は、日程管理のサイボウズと、Microsoft OneNoteを使って、やることを大きなタスクに分けて、そこから中くらいのタスクにわけて、毎日朝一番と昼一番に中タスクを10分以内で出来るタスクに細分化して管理している。
ファイル一つ作るでも、
📌ファイルつくる(中タスク)
でなくて、
📌ファイルをつくる
→ファイルのコピー
→ファイルのペースト
→ファイルの名前の変更
→ファイル中の更新必要な可能性のあるものを紙に書き出す
→更新が必要か確認検査センターのサイトで確認
→書き出す
…
みたいに一個一個書き出して仕事している。
そうしないと、フリーズして、コピーペーストまでで30分くらいかかる。
計画に毎日2-3時間掛けないと一つも物事が進まない。
そんなだから、テスト前15分以外で勉強出来ない。成績はいつもどん底だったが、テスト前の15分勉強の積み重ねで、三流だけど国立大に受かった。
なぜなら、その15分は分かることを諦めずめちゃくちゃに理解しようとしていたからだ。
その15分で見て勉強した範囲は、1問も落とさない。
理解しようともせずに、点数にしようともせずに、人に勉強してるアピールするためにやってる1日より、理解しようと集中してやる15分の方が絶対価値がある。
障害があっても、分かることも出来るようになることを諦めないことだけが大事だ。
ダラダラ勉強して、分からないまま、出来るようにならないままならそれに価値はない。
私はダメダメでも、まだ諦めてないし、もっと良くなれると思う。
だから、生徒にも諦めないで欲しい。
出来る様になったことを褒めて、一つずつ出来ないを解消してあげて、理解しようとする心を取り戻せるようにお手伝いできれば良いなと思った。
(これ書きながらテスト前一瞬しか頑張れないの思い出したので、たった今模試4つ申し込んだ)