昔から勉強モチベがない。
勉強が苦手だからだ。
なぜ苦手か?
人より出来ない部分があるからだ。
そう思っていました。
今日、小学生に、小学生レベルの漢字の書き取りができないことを突っ込まれた。
「お前の努力が足りないんだろう」と。
実際努力は足りないけど、多分、過去の私は努力した。
努力してどうにかなる問題ではないことに何処かで気がついた。
人には得意不得意があって、発達障害の私は漢字が覚えられない。
全く覚えられないってのは語弊があって、漢字ドリル100回書いたら2-3割は覚えられる。
多分人より努力しないと覚えられないだけ。
それを発達の凸凹と言うのだろう。
苦手なものと得意なものの差が大きいから、人に理解してもらえない。
やる気がないだけだと思われる。
健常者は、多分その得意不得意の差が小さいから、得意苦手の範囲で収まってるんだろう。1と10みたいな。
発達障害者は、得意苦手とかじゃなくて、可能か不可能かレベルの話になる。10^-21と10みたいな。
出来ないこともないけど限りなく不可能に近い。
でも、中学まで割と自己肯定感高かったのは、それ以外は頑張ればできたからだ。
テストは回答を全てひらがなで書き、漢字以外、英単語のスペル以外はほぼ満点だったので、中学の確認テストの成績は学年1位か2位だった。
苦手な漢字や英単語のスペルはPCがある。
掃除はお金払ってハウスキーパーに頼めばいい。
自己管理ができないなら秘書を雇えばいい。
私は得意なことがあるんだと。
得意なことだけ伸ばす方が効率良いと。
それが中学時代の私がたどり着いた答えだった。
どうしてもできないことがあるけど、全て稼げれば解決できる問題だ、無問題だと思ってた。
のに、高校に入り漢字が必須になった。
英単語も多くなった。
社会に出ると人より劣ってるところを沢山突かれて、何も言い返せなくて、私の良いところなんて目に入らなくなっていた。
なぜなら私が、それだけ甘かったからだ。
甘かったとは、それだけのお金が入ってくるくらい得意なことで努力できていなかったということだ。
本来私は、努力できていたはずだ。
なのに驕り高ぶり、得意なことすら努力を怠り歳を重ね、いつの間にか人並み以下になっていた。
それをありありと痛感しているけど努力できない。
何故だ。
分からない。
そう、その問題を解決してくれたのがこの本だ。
勉強が面白くなる瞬間――読んだらすぐ勉強したくなる究極の勉強法
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文の量も少ない、赤と黒で構成された、注意散漫な私もニッコリ、読みやすい本だ。
これ途中まで読んで気が付いた。
努力できないのは私の人生を、出来ないことを言い訳に、捨ててるからだって。
捨ててるから楽しかった。
その場限りのことはなんでも出来たんだなって。
行動力があったのは私が私の人生を大事にしてないから、私のその場限りの楽しさを優先できたから。
本来の私の人生は私が大事にして積み上げなきゃならないものだって。
そう思った。
私は私の人生と夢を大事にします。
苦手とか得意とか、一括りにしないで、夢のために私が今持ってる能力を使って、限りない努力をします。
この本をバイブルに人生も勉強も頑張ります。